こんにちは、ライブチャットで稼ぐ!ジュエルグループ代表のブログ更新です。
今日は、僕がジュエルグループを立ち上げた時のことについて書いてみたいと思います。
2007年5月。仙台市。
僕は、一年前に失敗した事業の借金返済に追われ、アルバイトをして日銭を稼ぐ暮らしをしていました。
まだ、世の中にはグッドウィルやフルキャストのような日雇い派遣会社がたくさんあった時代でした。
楽天のホームグラウンドは、この当時はまだ"フルキャストスタジアム"という名前だったと思います。
(現:日本製紙クリネックススタジアム宮城)
ライブチャット事務所を立ち上げるために、それまで週6で行っていたアルバイトを週5に減らし、休みの日は物件探しをしていました。
しかし、なかなか物件の審査が通らなかったり、予算に見合う物件が見つからなかったりと焦りも出ていました。
ジュエル第一号店を立ち上げる資金は、現ジュエルグループ会長である木村氏が出してくれたのですが、事業計画を話した時点で『もうすでに働く女の子が10人おりますので!』
とハッタリを言ってしまったのです・・・
会長に嘘をついたつもりはないのですが、予定していた女の子がいつまでも話が進まないことにより、働いてくれるという話がのちに頓挫してしまったのです。
ですから、物件も働いてくれると確約してくれている女の子も、いっつも振り出しに戻される状態で、大変焦りました。
3LDKのマンションを借りて、3ブースで利益を出す計算をしていましたので、どう考えてもスタートから10人の在籍が必要でした。
当時の携帯電話に入っている人に、男女問わず片っ端から電話を掛け、ライブチャット事務所をOPENするからとにかく女の子を紹介して欲しいと頼み通しました。
あまりにもしつこかったので着信拒否された人も数人いるほどでした(笑)
一年前に事業を失敗している人間の信用のなさと言ったら、この時ほど痛感することはなかったと思います。
もしかしたら『どうせまた失敗するよ。』と思われていたのかもしれません。
そんな折、想像していた理想のマンションとはだいぶかけ離れた、築30年のマンションの審査が通ったのです。
7月中旬頃のことでした。
ここからの動きと言ったら、水を得た魚のように早かったです。
そこから急ピッチで契約を済ませ、インターネットの工事日に合わせてスタートできるように、すべての買い物を通販で同日指定して(7月末日までは、まだアルバイトしていましたので、休みの日に合わせて)なんとか8月3日に最初の子の登録を済ませ、OPENすることが出来ました。
OPEN時は10人までとは行かなかったものの7人の在籍を確保しました。
2名は僕の人脈。
3名は紹介。
あとの2名は夜の街に繰り出してスカウト(悪く言うと引き抜き)しました。
売り上げのことよりも、僕に投資をしてくれた会長に、"結果的にでも嘘をつくわけにはいかない"と必死でした。
会長に連れてって頂いたキャバクラで、「引き抜き行為があった」と、チクられて出禁になってしまったこともありました(笑)
なんとか、8月の一ヶ月間はありがたいことに誰も辞めずに終えることができ、二ヶ月目の9月には在籍がなんと12名に増えていました。
最初の在籍の7名の女の子が友達や知り合いを紹介してくれたのです。
3ブースしかなくて在籍が12名もいると、ほぼ24時間だれかしらは事務所にいることになります。
しかも、全員新人・・・
俺も管理者新人・・・笑
そんな手探り状態の毎日で、寝る暇もなく半年間は泊まり込みで休みなく働いていました。
ひょんな時、友達に事業を立ち上げた報告をしたら、『有料求人出した方が良いよ!』とアドバイスを受けたのです。
たぶん、良い年して街に繰り出し、スカウトまがいな事をしている僕に呆れてアドバイスしてくれたのかもしれません・・・
なぜかその時まで、有料求人を出す気が全くなかったのです。
お金かけても鳴らないんじゃないか?
と信用してませんでした。
それから6年間、今でも掲載していますが、ともJOB東北版に掲載したのがOPENから数ヶ月経っての事でした。
《ともJOB東北版》
http://www.tomo-job.com/shop/sp/index.php?shopcd=1209
もし鳴らなくても、女の子は自分で連れて来るから構わない!
という気持ちで掲載したものの、掲載してからは、ひっきりなしの求人数にまた寝る暇もなく、いつしかスカウトする事は無くなって行ったのです。
今日は、僕がジュエルグループを立ち上げた時のことについて書いてみたいと思います。
2007年5月。仙台市。
僕は、一年前に失敗した事業の借金返済に追われ、アルバイトをして日銭を稼ぐ暮らしをしていました。
まだ、世の中にはグッドウィルやフルキャストのような日雇い派遣会社がたくさんあった時代でした。
楽天のホームグラウンドは、この当時はまだ"フルキャストスタジアム"という名前だったと思います。
(現:日本製紙クリネックススタジアム宮城)
ライブチャット事務所を立ち上げるために、それまで週6で行っていたアルバイトを週5に減らし、休みの日は物件探しをしていました。
しかし、なかなか物件の審査が通らなかったり、予算に見合う物件が見つからなかったりと焦りも出ていました。
ジュエル第一号店を立ち上げる資金は、現ジュエルグループ会長である木村氏が出してくれたのですが、事業計画を話した時点で『もうすでに働く女の子が10人おりますので!』
とハッタリを言ってしまったのです・・・
会長に嘘をついたつもりはないのですが、予定していた女の子がいつまでも話が進まないことにより、働いてくれるという話がのちに頓挫してしまったのです。
ですから、物件も働いてくれると確約してくれている女の子も、いっつも振り出しに戻される状態で、大変焦りました。
3LDKのマンションを借りて、3ブースで利益を出す計算をしていましたので、どう考えてもスタートから10人の在籍が必要でした。
当時の携帯電話に入っている人に、男女問わず片っ端から電話を掛け、ライブチャット事務所をOPENするからとにかく女の子を紹介して欲しいと頼み通しました。
あまりにもしつこかったので着信拒否された人も数人いるほどでした(笑)
一年前に事業を失敗している人間の信用のなさと言ったら、この時ほど痛感することはなかったと思います。
もしかしたら『どうせまた失敗するよ。』と思われていたのかもしれません。
そんな折、想像していた理想のマンションとはだいぶかけ離れた、築30年のマンションの審査が通ったのです。
7月中旬頃のことでした。
ここからの動きと言ったら、水を得た魚のように早かったです。
そこから急ピッチで契約を済ませ、インターネットの工事日に合わせてスタートできるように、すべての買い物を通販で同日指定して(7月末日までは、まだアルバイトしていましたので、休みの日に合わせて)なんとか8月3日に最初の子の登録を済ませ、OPENすることが出来ました。
OPEN時は10人までとは行かなかったものの7人の在籍を確保しました。
2名は僕の人脈。
3名は紹介。
あとの2名は夜の街に繰り出してスカウト(悪く言うと引き抜き)しました。
売り上げのことよりも、僕に投資をしてくれた会長に、"結果的にでも嘘をつくわけにはいかない"と必死でした。
会長に連れてって頂いたキャバクラで、「引き抜き行為があった」と、チクられて出禁になってしまったこともありました(笑)
なんとか、8月の一ヶ月間はありがたいことに誰も辞めずに終えることができ、二ヶ月目の9月には在籍がなんと12名に増えていました。
最初の在籍の7名の女の子が友達や知り合いを紹介してくれたのです。
3ブースしかなくて在籍が12名もいると、ほぼ24時間だれかしらは事務所にいることになります。
しかも、全員新人・・・
俺も管理者新人・・・笑
そんな手探り状態の毎日で、寝る暇もなく半年間は泊まり込みで休みなく働いていました。
ひょんな時、友達に事業を立ち上げた報告をしたら、『有料求人出した方が良いよ!』とアドバイスを受けたのです。
たぶん、良い年して街に繰り出し、スカウトまがいな事をしている僕に呆れてアドバイスしてくれたのかもしれません・・・
なぜかその時まで、有料求人を出す気が全くなかったのです。
お金かけても鳴らないんじゃないか?
と信用してませんでした。
それから6年間、今でも掲載していますが、ともJOB東北版に掲載したのがOPENから数ヶ月経っての事でした。
《ともJOB東北版》
http://www.tomo-job.com/shop/sp/index.php?shopcd=1209
もし鳴らなくても、女の子は自分で連れて来るから構わない!
という気持ちで掲載したものの、掲載してからは、ひっきりなしの求人数にまた寝る暇もなく、いつしかスカウトする事は無くなって行ったのです。
コメント
コメント一覧
何か頭の中でクリアに想像が出来る内容ですごく勇気が湧きました!
また色々ジュエルさんの歴史を読めるのを楽しみにしています!
ありがとうございます!
私は7年チャットレディをやってきました。
次は経営の方をしたいと考えております。
図々しいお願いですが、立ち上げのノウハウを報酬つきで教えて頂けないでしょうか?
tetsuto_0716.1@icloud.com
お待ちしております
無償にてレクチャーさせて頂きます。
https://www.lc-jewel.jp/agency.html