今日で、あの震災から2年が経ちました。
2年前の3月11日と同じように、空は澄んでいるように快晴ですね。
 
僕の感覚でいうと、もう2年も経ったのか・・・って感じです。
つい、昨日のことのように思い出してしまいます。


こんにちは、ライブチャットで稼ぐ!ジュエルグループ代表のブログ更新です。


3月に入ってからというもの、TVをつけるとやはり震災関連のNEWSが多いですね。
番組を見ていると、この2年間で分かった事実というのもたくさんあるようです。

こ存じの方も多いかもしれませんが、jewelの第一号店は6年前に仙台店から始まりました。
2年前の今日の仙台店は、たくさんの在籍の女の子が、普段と変わらずいつもの様に仕事をしていました。

その時の僕は、福島県郡山市に新規にjewel郡山店をOPENするのに、テーブルやPCの組み立ての準備をしていました。
忘れもしない14時46分、いっせいにその場にあった携帯の緊急地震速報が鳴り、地響きと共に大きな揺れが起こりました。




 

これはヤバい!と思いました。

建物の9階にいたのですが、そこから見える郡山市内の住宅の屋根瓦やビルの看板がどんどん崩れ落ちて行きました。
あまりにも長い揺れに、最悪の事まで考え、覚悟してしまいました。


あとから知った事実では、あの大きな揺れが6分も続いたそうですね。


揺れがおさまって、近隣の住民の方から聞いた情報では、どうやら震源地は仙台らしいと…
頭が、真っ白になったのを覚えています。
事務所にいるはずのメンバーに連絡をしても全く繋がらず、みんなの安否も全然つかめませんでした。
携帯のワンセグで見る津波の映像では、仙台市内が丸ごと飲み込まれてしまったのではないかと思ったほどでした。


幸いにも車のガソリンは満タンだったため、すぐに仙台に向かった事を覚えています。
高速道路は封鎖され、下道も緊急車両専用で通行止めになるとこもあり、普段なら3時間で行けるところを10時間ほどかけて仙台に着きました。
仙台の街は、全部停電になっていたため、車のライトで照らしたところしか見えない、真っ暗な世界でした。


事務所に着くと、スタッフと家に帰れなくなった女の子達が、布団に包まって暖をとっていました。
みんな無事だと知った瞬間に、涙があふれるほど安心しました。


それからというもの、jewel仙台店は、しばらくの間、まるで避難所の様な共同生活が始まりました。

ガスや水道などのライフラインが止まったまんま、食料やガソリンも手分けしないと手に入らないため、1人で生活するのが困難な状況でした。

それでも、電気が繋がった瞬間から、周りのみんなや会社のためにお仕事をはじめた方もいらっしゃいました。
そんな事もあってか、この時から僕のこの仕事に対する使命感は変わって行ったのです。


jewel仙台店では、この時に困難を乗り越えたメンバーがまだ在籍しています。
家が倒壊したり、流されちゃったスタッフやチャットレディさんもいます。


でも、生きているだけで幸せです。
お互いが感謝し合える環境がある事も幸せです。

少なくても、僕があの時を乗り越えられたのは、今までのジュエルメンバーが居てくれたからです。
それから、こんな人を1人でも多く増やしたい!と思い、まだまだジュエルグループは増やして行かなきゃ!と思っています。


《2年前、jewel仙台店にて余震が続く中での共同生活》 
 
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